お客様らしい写真をお撮りする原田写真館のブログ



お客様らしい写真をお撮りする原田写真館 | 原田太一のブログ
かけがえのない「今」、日々の生活のなかでうすれゆく過去の記憶だから、「今」をカタチに残します。
その写真は日々の暮らしの中で家族みんなに笑顔を与えます。家族みんなの気持ちを優しくします。家族の証となります。

いま、パンデミックという、未曾有の状態に陥って、私たちは一人一人が物理的にも心理的にも孤立を余儀なくされています。
だからこそ、そばにいる家族は当たり前ではない、そう思う時代に立たされていますよね。
今日は我が家に起こった写真にまつわる、ちょっと不思議なお話をシェアさせていただきたいと思います。
私たち夫婦には、親戚や親というものがありません。離婚が当たり前の今、私たちの親も良くない終わり方で離婚してしまったために、家族関係が複雑になってしまい、結局は実家との関係も途絶えてしまったからです。
そんな私たちが家族写真を撮ろうと思ったきっかけの一つは、
ともに家族との繋がりがない私たち夫婦が、いろいろなこころのワークショップで、「子供時代の記憶」がいかに人が生きるパワーになっているのか、ということを学んだからでした。
過去の嫌な気持ちを記憶にして生きる大人と、過去の素敵な気持ちを記憶にして生きる大人、その違いは子供時代に何を記憶にしようとおもったかを、自分が決めているところにあるというのです。そして記憶が本当に事実であったのか、そうでなかったのかは、ひとが幸せ感を維持するためには、関係がないそうなのです。
子供は過去と現在と未来の関係が理解できず、長期記憶が発達していません。4歳児の記憶は2秒前まで、と言われています。そんな幼児が過去の記憶をどう捉えるかだけで、大人時代が大きく変わってしまうということ。
娘が5歳の時、突然泣き出したことがありました。私が驚いて、訳を聞くと、
「毎日、毎日楽しいことがあったはずなのに、わたしはどんどん前の出来事をわすれていくのが怖い!」と。痴呆症の老人が記憶を失うのを恐れるように、子供の中にもそういう恐怖があるのだな、とびっくりしたことがあります。
「記憶を失っても、心に思いはずっと残るんだよ」私はそう答えました。
そして、娘はそれから「昔」のこと、をよく聞きたがるようになりました。
「ねぇ、私の赤ちゃんの頃、どうだったの?なにがあったの?」
昔といってもせいぜい5年、6年の間の話。大人にとってはそんなに過去のことではありませんが、子供は過去の写真を眺めては、それらを手がかりにわずかにのこる記憶を再体験して、頭の中に情報を再設置しているようです。
私たち夫婦には親親戚などの家系のルーツがありませんし、家族写真ももう残っていません。みたとしても苦い思い出が蘇ってくるだけのものでした。正直、私は写真嫌い。写真に写った自分が嫌い・・。写真をとりたがる考えがよくわからなかったんです。
ある時、(テレビのインタビューだったのかな)ジャパネットタカタの創業者がカメラを売り始めた頃のお話をしていました。
タカタ氏はこんな印象深いお話をしていました。
家族に写真をサービスでとってあげていたとき、気がついたことがあります。
大事なのはお子さんの顔を綺麗に撮ることじゃないんですよ。お子さんをみる親御さんのいい顔をとることなんです。
お子さんは、大きくなって、お前がこんなだったよってみせられたって、ふーんそう、なんです。自分の過去の一つでしかありません。
でもお子さんはその時、そのお子さんをみるお母さんの幸せそうな顔、お父さんの愛おしそうな顔、家族が幸せな笑顔で自分を見つめていること、そこに注目するんです。
そして、自分がどんな思いで育てられたのかを、そこから感じ取るんですよ。
写真って、記録じゃありません。
写真を通して、自分がどれだけの愛に包まれて育っていたのかを、こどもさんが確認することなんです。だから伝えましょうよ、家族写真でお子さんに愛を。
・・確かこんなお話だったと思います。
それを聞いて、本当にそうだな、と感心した私は、子供が生まれたら、うちには残す資産も歴史もないけど、いい顔で写真にうつろう、子供に「自分が愛されて育った」という記憶を残してあげよう。と思いました。
それで、一念発起。まずは、子供にせめて家族の始まりの写真をみせてやりたいと、私たちは結婚式を挙げていなかったのですが、衣装を借りて実際の結婚から10年たっているにもかかわらず、写真館で白無垢姿をとりにいきました。
娘ができてからは、お腹をお父さんと大切にかかえる、セミヌードのマタニティ写真、そして、助産院にきていただいて、生まれたての次女との授乳をとってもらったり。
七五三では、カメラマンをつれて参拝するなど、これまで写真にだけはお金をかけてきました。
特に重視したのは、タカタ社長がいうように、娘たちが愛されていることが伝わるプライベートで自然な家族の姿をとってくれるフォトカメラマンにお願いすること。
そして、飾ることができる、アーティスティックな作品を撮れる写真館にお願いすること。はい、左手は、こちらに、指は閉じて、はいみなさん笑顔で・・・なんてポーズが写真館に決められてしまうところでとったものは、公式の写真としては良いですが、結局は飾ることのないまま、しまいこまれてしまう家族写真でもあります。
ですから、積極的に娘たちに見せるための写真をたくさんパネルにしていただきました。自分の写真をかざるなんて、と私は躊躇しますが、幼児の頭の中は、自分たちがお姫様であり、王子様です。大人のように自分がメインになる気恥ずかしさなどはありません。とても喜んでくれました。
家族に愛されている写真を食卓から、満足そうに眺めて娘たちは育ったのです。
でも実際は、写真通りに円満な家庭とは決して言えませんでした。
だれにも頼れない、休めない。全てのことを夫婦二人だけでこなしていく生活はきつく、様々な環境変化や子育てストレスが限界を超えていました。
ですから、夫婦の不仲の時期の方が仲が良い時期よりも正直長かった・・。
離婚も考え続けていたんです。
言い争いは毎日のように起き、子供達は、「喧嘩をやめて」と泣き出すこともありました。そんなことが数年続いたある日、離婚届に承諾して夫が家を出て行きました。
これで全てが終わったな、と私は思いました。
心の中にただ、ただ、空白だけがありました。
その晩、真夜中3時のこと。
バーン!!とものすごい音がして、びっくりして飛び起きた私。
電気をつけてみてみると、なんと、壁にかかっていた、これまで撮りためてきた家族写真が一斉に落ちて、床に散乱していたのです。
そんなことってあるのかな、地震でもあった?と私は立ち尽くしていました。
ようやく妊娠がわかり、夫婦で泣いたクリスマスの日のこと。
妹が生まれて、うれしくて頬ずりしている上の娘。
夫の手の上に乗っている小さな生まれたての下の娘。
夫そっくりの笑顔で並んでポーズをとっている姿。
これまでの家族の経緯が、床に広がっていました。
私は唇を噛み締めて思いました。
でも、こうなってしまった。これしかもう選択がなかった。
向こうも心を決めたのだから。夫に譲れる部分は全てゆずってきて、私はもうこれ以上削る部分が何も残ってない。そして彼は変わってくれないだろう。
私は、家族写真が私を攻めているかのように感じて苦しくて、子供達に家族をこれ以上つづけていけなくなってしまったことをあやまりました。
なぜ、あの日突然写真が落ちたのかは、いまだにわかりません。
なにかのお知らせだったのでしょうか・・。
でも、その日の午後、事実として起こったのは、夫がかえってきたことです。
「全てのこだわりをすててでも、俺に大切なのは、家族だ、やり直したい。」
一晩考えて、夫は突然そう思ったのだそうです。
<写真にはその時代の家族のエネルギーがこもっている>
5歳まで、娘には不思議なものが見えていました。
その娘がいうには、「私たちはね、生まれる前に約束してて、家族を通して学ぶためにいっしょになったんだよ。
だから、離婚したらみんなで決めた目的がはたせなくなっちゃうから、私が大きくなるまでは、ダメだよ。」
スピリチュアルな言い方をすれば、私たちの守護をしていた存在がなにかあって、
それが、家族を取り戻すよう、写真を通して教えてくれていたのかな、とも思います。
その後、様々な紆余曲折をえて、今、私の家族は写真の通り、穏やかでよくある普通の毎日を送るいい関係になっています。
毎年私たちの記念日をとりつづけてくれていたカメラマンさんに、下の娘の七五三でまたお世話になった時にその話をしましたら、カメラマンさんも驚いたようでした。
「写真ってね、本当に不思議ですね。私たちの絆を記録し続けてくれて、ありがとうございます。今年も撮影をお願いできて、本当に良かった。」
今は、海外移住に向けて準備しているところですが、海外の広い住宅の壁を家族の写真パネルで埋めるのが楽しみです。写真は全てデータで撮りためているので、クラウド上の保存もしやすいし、海外にも持っていきやすく、いい時代になったなぁと思っています。
オフィシャルホームページ
https://www.harada1969.com
家族写真専用ホームページ
http://family-haradaphoto.com