お客様らしい写真をお撮りする原田写真館のブログ



お客様らしい写真をお撮りする原田写真館 | 原田太一のブログ
かけがえのない「今」、日々の生活のなかでうすれゆく過去の記憶だから、「今」をカタチに残します。
その写真は日々の暮らしの中で家族みんなに笑顔を与えます。家族みんなの気持ちを優しくします。家族の証となります。

その時のエピソードをお話ししていきます。
まず、祖父のことに触れていきたいと思います。
祖父は、数年前に脳梗塞で右半身を麻痺し、杖を左手で持って何とか歩いたり、車椅子に乗ったりした生活を送っていました。
昔、銀行でバリバリ働いていたためプライドが高く(田舎では当時銀行員といえばちょっとしたエリートだった)、半身まひになった当初は必死でリハビリをしていました。
とても80代の男性とは思えないくらいの努力で、現役時代の雰囲気を醸し出していたのをお見舞いに行ったときに覚えています。
そんな祖父の努力も完全には報われず、十分回復しなかったためデイサービスで定期的に介護を受けることになりました。
そんな経緯を持っているのが当時の祖父です。
十分に使えなくなった右手、現役時代この手で膨大な数の仕事をこなしてきたのでしょう。使えなくなったことで孫の僕が見ても明らかに自信を失っていました。祖母にも病前は優しかったそうですが、何となく怒りっぽくなっていたようです。そんな祖父も米寿を迎えました。デイサービスでは、利用者さんに個々に合わせたサービスを行っており、誕生日、特に喜寿や米寿といった節目にはちょっとしたお祝いを行っていたのです。もちろん祖父もデイサービスで写真を撮る機会がありました。しかし、もともと何となく幼稚園の誕生日会だとぼやいていた祖父がその会の主人公になり、やや不満を覚えていたのでしょう。写真撮影でその怒りはピークに達したようです。大声を上げて拒否し、ちょっとした問題になったことが母の話を通じて知りました。祖父も老いた、しかも普段着で麻痺をした自分を撮影されるのが嫌だったのでしょう。結局撮影はなしで、介護士さんが機転を利かせて上手な似顔絵を写真代わりに紙製の記念品を渡してくれました。迎えた母と祖母はデイサービスの送迎の方に平謝りだったそうです。
そうはいっても米寿はめでたいことです。せっかくだから記念になる写真を、そう思った息子である父が写真館へ行くことを祖父に提案しました。
そして、米寿祝いの写真を撮りに写真館にいくことを提案した父にも撮影拒否をしてきたのです。
父も祖父の性格に似て強いところがあったのでくじけず、お気に入りの従妹の娘(祖父のひ孫にあたる)と米寿祝いのご飯を食べようといいました。
さすがに祖父もお気に入りのひ孫に会いたいため、嫌々承諾し、写真館へ行くことになったのです。
プライドが高い祖父は、祖母に行って無理して昔のスーツ(幸い病気になる直前に昔勤めていた銀行の株主総会に参加するため、手入れをしっかりしたので無事だった)とネクタイをして必死の形相で何とか車に乗って写真館へ行くというちょっとお騒がせなこともありました。
そんなことで昔から営業している写真館へ。
ここで起こったエピソードは今も印象深く覚えています。
カメラマンの方が機転を利かせて祖父を非常に立派に撮影したのです。
事前に祖父のまひのことを伝えていたので、自動ドアも完全に開けっ放しにしてくれて、入りやすく配慮してくれました。
もう一台の車に積んでおいた車椅子を出して祖父を乗せてからスムーズに写真館の中へ入ることができたのです。
床を見ると什器などが少しどかされた跡がありました。
今思えば、この点もわざわざ祖父のためにやってくれたのでしょう。
早速カメラマンの方は、立っての撮影は無理と判断して、あらかじめ用意した立派な椅子に座らせてくれました。
さすがにこの点は不慣れだったため、父と二人で座らせるといった感じでした。
ここでも祖父は少し不機嫌そうに遠くを見ており、そして祖母や母も、そして従妹も伯母までも何となく写真撮影に対して不安を覚えているようでした。
父は、祖父のように遠くを見て後はお願いしますといった表情、祖父の婿に当たる伯父はどこかせわしなかった感じだったのを覚えいています。
そんな不穏な状況の中、カメラマンの方は、粛々と撮影の準備をしていきました。
アングルを整えるために祖父ではなく、カメラの方を動かしてベストなアングルを探っていったのです。
カメラを動かしてこちらから見て右側にそろりそろりと動かし、祖父の左斜めから撮影する形にして言っているようでした。
麻痺側で少し表情が変わっている右の顔はあまり見えないようにやや斜めのアングル、これを狙っていたようです(祖父から見れば左側にカメラが来るため)。
そして高級そうな大型のデジタル一眼レフカメラの小さなディスプレイとファインダーを一回ずつ確認し、ここぞというタイミングで、まず一枚撮影しますと祖父に声掛けをしました。
祖父もさすがに不機嫌な顔を無理にゆるませ、若干不機嫌さを隠しきれずひきつったような顔の姿でフラッシュを一回浴びました。
試し撮りで撮影された液晶ディスプレイ上の画像を見て、祖父の表情が誰もが見ても明らかなように顔がほぐれました。
姿勢がうまく整い、威厳ある姿。
見るからに大人物的な雰囲気(現役時代は知らないが銀行の幹部まで務めたらしい)を出していました。
いいじゃないか、と急に祖父が声を出し、どんどん撮ってくれと言ったのです。
顔も最近見たことがないようなくらい晴れ晴れとした表情で、カメラマンの方がやめようとすると、多めに撮ってくれといいました。
しかも、超過した予算分はこちらで補填する、と現役時代のような言い回しで冗談っぽく発言したことに、周りから笑いが出たのです。
もちろん僕も例外ではありませんでした。
米寿祝い撮影が終わり、写真をディスプレイ越しに選ぶとき、予定していたよりも少し多めに購入。
手帳に入れる(必死のリハビリで当時、手帳のメモを左手で書けるようになっていた)といって小さめの写真まで注文する位でした。
写真を相当気に行っていたのか、街の中心部にある有名な菓子店の菓子折りを祖母に持たせて米寿祝い写真の受け取りに行ってもらったと後から聞きました。
もしかしたら写真館の方も驚いたのかもしれません。
撮影を順調に終えて、同行していたひ孫と予約をしていた和食のお店で米寿祝いの昼食、その時の祖父はとても晴れ晴れとしてひ孫の顔を見て、久しぶりの好々爺だったというのがその日の思い出です。
麻痺こそしているものの、車いすに乗ってはいるものの、かつての雰囲気をどこか感じさせたのは印象的でした。
写真館の写真撮影だけで、そんなに変わるものか、そう強く思った一日になりました。
だだ、事実としてはっきりと言えるのは、祖父が失っていた自信を写真館の写真が取り戻してくれたこと、それだけです。
意欲も出てきたらしく、今までしなかった歌まで歌い始めたというのは、家族で言葉を失うくらいのサプライズ、あの気難しい高齢者者はどこに行ったのでしょう。
祖父は晩年を生き生きと過ごすことができたのだと思います。
そんな威厳溢れる米寿祝い写真も今は遺影となってしまって、部屋の隅にたたずんでいます。
この前、祖母の財布がちらっと見えた時、保険証の後ろで威厳のある祖父の小さな写真が隠れていました。
あの日がきっかけで、気難しく自信を失っていた米寿前の祖父は変わりったのだと思います。
ここまで写真を大事にしてもらって、きっと祖父も本望なはずでしょう。
元々は生真面目な祖父、写真一枚でもガラッと変わってもおかしくなかったと思います。
福岡市フォトスタジオ 原田写真館 Since1969 (香椎参道通り)http://www.harada1969.com