お客様らしい写真をお撮りする原田写真館のブログ



お客様らしい写真をお撮りする原田写真館 | 原田太一のブログ
かけがえのない「今」、日々の生活のなかでうすれゆく過去の記憶だから、「今」をカタチに残します。
その写真は日々の暮らしの中で家族みんなに笑顔を与えます。家族みんなの気持ちを優しくします。家族の証となります。

実家の福岡を離れて15年。
社会人になってから東京に就職したものの、転勤で仙台、名古屋と転々としていた私も結婚してから、九州に転勤していました。
その頃は、子供も小学生で実家まで車で1時間と比較的に近かったこともあり、よく両親に可愛がってもらったのですが、再び東京転勤の辞令が出たのです。
それからは、私の両親が大好きだった子供達も今までのように、祖父母をワイワイ楽しいひと時を過ごす機会が無くなりしょんぼり。
それよりも増して、孫娘や孫息子2人と遠くなってしまった私の母も、すごく気を落としていたのです。
それでも年に1度はお盆休みか、正月には家族で帰省するようにしていたのですが、私が仕事の関係でどうしても帰省できない時は、子供達は長い夏休みを使って先に実家に帰省することが増えてきました。
しかし、子供達が小学・中学・高校・大学と進み成長してくると、実家に帰る機会も段々減ってきます。
そのうち、あれだけ大好きだった祖母のことも次第に忘れてくるものです。
時折、母からは孫の声を聞きたいために電話がかかってくるのですが、成人近くになった子供達も外出することが多く、めったに私の母と話す機会を次第に少なくなっていました。
そして、昨年の夏。
よく考えてみると、母は喜寿になる歳でした。
このところ、家族でしばらく実家に帰ることもなかったことから、私・嫁・子供3人、車で帰省することにしたのです。
そう、私や家内にとって”母”の、子供達にとって”おばあちゃん”の喜寿のお祝いをするために。
実家で久しぶりにも盛り上がった我が家。
そのお祝いの記念に孫に囲まれて、母は嬉しそうに写真館で、思い出の喜寿祝い記念写真と撮ったのです。
そんな喜寿のお祝いで撮影した母の写真が、私達を励ましてくれるとは思いも寄らなかったのです。
嫁も義母となる私の母は、どても仲が良く、本当の母親のように慕っていました。
そのために、何でも相談できる間柄です。
私と家内は共働きをしているのですが、職業は看護師です。
看護師と言っても、夜勤や交代制のある大きな総合病院に勤務しているのではなく、近所の小さな個人クリニックで働いています。
しかし、ちょうどこの頃は人間関係で悩んでいました。
看護師と言っても、正職員ではなくパート扱いで働いていたのですが、昔から職場にいる古参のスタッフから厳しく当たられ、毎日が辛い日々でした。
そんな辛い環境の中で、何度も辞めて転職をしようとしたのですが、子供の学費のことや生活のことを考えると、どうしてもここを辞める決心がつきません。
そんな時に心の支えとなったのが、私以上に母の存在だったのです。
辛くなると、家内は母に電話をしました。
そして、職場の愚痴を聞いてくれる母。
電話をしている最中には、母の喜寿の時の写真を身ながら、少し涙を浮かべて会話をするのです。
そう、今ではLINEがあるので、テレビ電話をすればリアルに顔を見ながら相談ができたのですが、何せスマホを持たない母です。
そのために、家内が実家に電話をする時に、あの時に撮影した楽しく笑顔で映っている喜寿のお祝い写真をテーブルに立てて話しているのです。
「ああ、お義母さんに相談してスッキリした。」
こんなふうに母の写真が家内を励ましてくれています。
祖母が大好きな娘も喜寿の写真に励まされてきました。
娘は大学に行かずに専門学校に通っていたのですが、専門は看護学校です。
そう、家内の後ろ姿を見て、小さな頃から看護師になるのが、夢だったのです。
中学の頃は、絵を描いて何度の大きな大会で入選した程の娘だったので、私は高校卒業後、美大、もしくはデザイン関係の道に進むかと思っていたのですが、家内と性格が似ているのか、「美術の仕事で生活することは難しい。堅実な仕事なら、やっぱり看護師」と娘なりにしっかりとした考えを持って、自分の進路を決めていたのです。
しかし、看護学校での勉強が私が想像する以上に厳しいものがありました。
さすが現役の看護師だけあって、家内も娘にアドバイスをしていましたが、それでも精神的に疲弊してしまう程に辛い病院実習が待ち構えていました。
ここでも母の喜寿のお祝い写真の中で微笑んでいる笑顔が、娘を励ましてくれたのです。
実習現場から帰宅して、目に涙を貯めていた娘だったのですが、母の写真をしばらく見ていると、私に言うのです。
「おばあちゃん、私に言ってる。”辛いのなら、いつでも止めることはできるよ。そう思って、もうちょっと頑張ってみなさい」
そんなふうに母が孫娘に写真を通して、語りかけてくると言うのです。
私には単なる孫達に囲まれた喜寿の写真でしかなかったのですが、そこには子供を元気にしてくれる目に見えない”元気の源”があったようです。
そのおかげなのか、娘は厳しいカリキュラムを何とかこなして、無事に卒業することができました。
看護師の国家試験を受ける時も会場に行く前に
「おばあちゃん。行ってくるね!」
そう言って、受験会場に行きました。
今では現役の看護師として活躍しています。
家内や娘を励ましてくれる母。
それも、電話だけじゃなく、家のリビングに置いてある写真館で撮影した喜寿祝いの写真が彼女達を応援してくれるのでした。
しかし、それは家内や娘だけではありません。
私もそうなのです。
会社の経営が一時期厳しくなり、残業カットや早期退職制度で会社を離れていく同僚が何人もいた時期でした。
私もその中に入っていたのですが、やはりこの年齢で転職することは中々ハードルが高いことことです。
転職をするなら、生まれた福岡で再就職という選択肢も考えたのですが、息子2人が東京の大学に通っていることや、まだ、娘も家内も東京の職場で勤務しています。
そのことを考えると、私だけ転職して単身赴任ということも現実的な選択肢ではありませんでした。
その時に母に相談したいと、何度も電話しようと思ったのです。
しかし、こんなことで高齢の母親に相談することにも躊躇いがありました。
父も健在で相談する手もあったのですが、私と同じ性格なのことを知っていたので、やはり意見がぶつかってしまうことも見えていました。
もう、心が折れそうになった時に、母が優しく語りかけてくるのです。
それも喜寿の写真を通して。
私が会社に出勤する前に、母の写真を見て心の中で言うのです。
「母さん。頼む。これから道が開けるように応援してくれ!」
そうすると、母の声が返ってくる感じがしました。
「お前だったら、大丈夫。これまでも苦しいこと乗り越えて来たんだから」
そんなふうな声がしたように思えると、頑張ることができます。
まだ、完全に環境が良くなったわけではありませんが、早期退職も転職もせずに、今、踏ん張っていることができています。
喜寿祝いで映った母の笑顔は時には厳しいことを伝えてくることもあります。
大学に通っている息子2人は、アルバイトに明け暮れて、学校をサボることもあります。
そんな特に息子達が母の写真も見るや否や、「おばあちゃん、怒ってるみたいだ。やっぱバイトばっかじゃ、ヤバいのか!」
息子達が真顔で言っている光景は面白くあるのですが、それだけ母の写真は、元気の活力でもあるのです。
そして、週に1度は家族揃って食事をするようにしているのですが、この時も母の写真をダイニングテーブルに置いて食事でワイワイ盛り上がります。
「そう言えば、しばらくおばあちゃんに電話してないよな。親父!電話かけてみて!」
そうやって、母の写真を見ながら、電話をしました。
すると、電話口の向こうからは
「お前達、もうしばらく電話してこなくて、待っとたとよ(待っていたよ)」
と明るい声が部屋中に広がるのです。
母の喜寿のお祝いの時に撮った写真は、こんなふうに私達を叱咤激励してくれるのです。