お客様らしい写真をお撮りする原田写真館のブログ



お客様らしい写真をお撮りする原田写真館 | 原田太一のブログ
かけがえのない「今」、日々の生活のなかでうすれゆく過去の記憶だから、「今」をカタチに残します。
その写真は日々の暮らしの中で家族みんなに笑顔を与えます。家族みんなの気持ちを優しくします。家族の証となります。

写真館に行く機会は、出産してから急激に増えた。初宮参り、一歳の一升餅、七五三、幼稚園の入学、卒園、小学校の入学、卒業、中学入学はすべて写真館で撮っていただいた。我が家の子供は女の子が二人なので、一人だったり二人だったり、一家だったりジジババも参加したり、ときにはペットの飼い猫も参加したりして、その都度その都度、写真に参観する人数は変化したが、センターにはいつも娘たちがいる。自分でスマホ(娘たちが小さいころはガラケーだったかも)で撮影した写真もそれなりに自然な表情だったり、面白い瞬間だったり、学校でのビッグイベントだったりして、あとから見返すと面白いけれど、写真館で撮っていただいたものは格別だ。娘たちは着飾り、もしくは真新しい制服に身を包み、少し緊張した面持ちでカメラの前に立っている。写真館の方が和ませてくれたり、アドバイスしてくれたりして、その時々の最高の表情を切り取ってくれる。素敵なアルバムに包まれた家族写真を、時折開くと意識がその時間にタイムスリップして楽しい。
我が家では写真を飾ったりはしないのだが、誰でもすぐ手が届くところに、卒業アルバムなどと一緒に、時期ごとの写真を仕舞ってある。娘たちも時折、自分の幼いころの写真を見返したりして、かわいい、などと自画自賛している。
娘たちももう本当に大きくなってしまい、いつしか写真館からは足が遠のいてしまったなあ、と思っていたら、再来年、長女が成人式だという。二年後のイベントに向けて既に和装店からのパンフレットが本当にたくさん届く中で、写真館からのお誘いも複数混じっていた。また家族写真が撮れるのかと思うと、正直うれしかった。この記事では我が家と写真館とのおつきあいの仕方について綴りたいと思う。
次女は気が小さくて繊細なこどもだった。長女はおおらかで物おじしないタイプだったので、写真館で困るようなことは何もなかったのだけれども、次女は新しい場所がどうしても苦手で、慣れるまでに時間がかかった。それはどんな楽しそうな場所であったとしてもそうで、今となっては笑い話なのだが、ミッキーがこわくてディスにーランドにしばらく入ることができず、入り口の花壇で一時間ほど、次女が場に慣れるまで待機したほどだ。楽しそうに入場していく主人と長女を見ながら、同じ親から生まれた姉妹でも性格は全然違うのだと痛感した。そんな次女だから、3歳の七五三の写真を撮るのは大変だった。写真館は車で数分のところにあり、それまでに何度も足を運んでいたから大丈夫だろうと高を括っていたのだが、次女は七五三のお着物に身をくるんだまま、入り口で硬直した。どうしてもスタジオに足を踏み入れることができず、そのまま一時間ほど経過した。私たちはその日の写真館での撮影をあきらめ、帰宅した。後日、撮り直しをしたのだが、何とかスタジオに入れた次女だったが、緊張のあまりに驚くほどこわばった顔での撮影となった。その次女ももう16歳の女子高生となり、ディズニーランドにも楽しく遊びに行き、写真館で硬直することなく受験用の証明写真を撮ってもらえるまでに成長した。その写真を見るたびにその時のことを思い出す。そして、よく大きくなったものだと思う
長女は物おじしない性格だったのだが、活発で自分の欲求に忠実な性格だともいえた。それは今も変わらないのだが、子供時代はもっとわかりやすく自分の欲求に忠実だった。七五三の写真撮影の予約が遅かった我が家は、お参り前の撮影の時間の予約が取れなくて、お参り後の写真撮影となった。私たち一家が三歳の御祈祷を受けた神社では、御下賜の千歳飴をくれるのだが、長女はそれを食べるといって聞かなかった。写真があるから、あとにしようね、と私が言うと、うん、と元気よく返事して、そのまま千歳飴にかぶりついた。その千歳飴は柔らかくサクサクとした食感のもので、三歳児の歯でも噛み砕ける程度のやわらかさだったので、娘の頬は瞬く間に飴のカスで汚れていった。なんとなく顔をウエットティッシュでふき取り、写真館に出向いたところで、写真館の奥様が娘の異変に気が付いた。お着物の袖が破れてますね、と。私たち一家も飴に気を取られて気が付かなかったが、どこかで引っ掛けたのだろう。たもとが裂けていた。着物って破れるんだ…と妙なところで感心しつつも、どうしようとなった。結局、写真館さんが機転を利かせてくださり、娘は破れたたもとをみえないように座らせていただく格好で、無事撮影は終了した。そのお着物は修復ができなかったが、写真を見るたびにそのことを思い出す。その彼女も高校三年生になり、入試のための受験票用の写真を写真館で撮影するのだという。次の写真館での撮影は、きっと成人式だろう。その次は結婚するときかな、と勝手に思っている。
私たち夫妻が結婚したのはもう20年以上前のことになってしまうのだが、派手なことが大好きな義母が、結婚式のアルバムはとびっきり豪華にしないとね、といって、金襴緞子とはまさにこのこと、というくらいの派手な台紙のアルバムを仕立ててくれた。大きくて重厚感満載のそのアルバムなのだが、何分スペースを取るのと、とにかく重たいので、ついつい仕舞いっぱなしになってしまい、なかなか日の目を浴びることがない。次女が中学三年生だった時に、家族の歴史をつくるという授業があったようで、20年の時を経て日の目を浴びたのだが、次女の第一声が“うわっ、これ、重たい!”だった。娘たちの結婚式のアルバムは、いつでも見返せるような形状のものにしてあげようと思った。久々に見た写真の中の若い私は緊張した笑顔を浮かべていた。義母プロデュースのど派手な結婚披露宴を思い出し、ひとりで思い出し笑いした。
娘たちの写真はすべて、デジタルデータとしてもいただいている。いただいた当初はふうん、へぇ、いまはこんななんだね。すごいね、という感じだったのだが、お子さんが結婚式を挙げるという先輩ママたちに話を聞くと、そのデジタルデータがいいのだという。結婚式ムービーを作るときに編集が楽なのだそうだ。まだあったかなあ、捨てちゃってないかなあ、と心配になり、写真を開いてみたら、しっかりアルバムのうしろに格納されていた。写真館さん、ありがとう、と思った。
これからも写真館とのおつきあいは続くだろう。先日は義母のお気に入りの写真館で義母の傘寿のお写真を撮ってもらった。華やかなことが大好きで、写真館で貸衣装のコーナーを見るや否や、義母は若い娘が着るようなお着物を着たいといって聞かなかったが、それは我慢していただいて、持参した着物で年齢相応の写真を一枚撮った。その様子を見ていた写真館の方が、よかったらお召しになりますか?とおっしゃってくださり、88歳の義母にしては、かなりだいぶ華やかな若い女の子が着るような、色鮮やかなかわいらしいお着物、という、なんとも不思議な写真を撮っていただいた。私も義姉もかなりの苦笑いだったが、義母が満足そうだったので、それはそれでいいのかもしれないと思う。これは遺影にするの、と義母はいたく満足げに写真を眺めていたが、遺影を使う日はまだまだ遠いなと思った。私のほうがややもすると先かもしれないな、と冗談抜きで思うくらい、義母はまだまだ元気だ。義母はおそらくは今後もきっともう数回、遺影にしたいような写真を写真館で撮ることになるだろう。今からとても楽しみだ。