子供の頃の話・・・
子供の頃の話・・・
子供の頃、近くに写真館がありました。その写真館のご夫婦とは祖父母の代からの知人で、家族ぐるみで仲良くさせて頂いていました。七五三、ピアノの発表会、入学式や卒業式まで本当に沢山の写真を撮って頂きました。そしてその写真達は写真館の通りに面した外から見える小さなギャラリーによく飾ってもらっていました。私が小学生の頃にはいつもその写真館の前を通って自分や家族の写真を見ながら登下校をしていたのです。
入学式の時に家族みんなで撮った写真
小学校一年生の時、学校に慣れ始めたばかりの頃に通学の途中で写真館をのぞくとそれまで飾ってあった私が三歳の時の七五三写真が春に家族で撮った入学式の写真に変わっていました。他にも同級生家族の入学式の写真が何枚も飾ってあり、ご近所の見知った顔がいくつも並んでいました。今まで三歳だった幼い自分の写真が飾ってあった場所には変わってランドセルを背負った自分がいて、子供心にも自分が大きくなった事が分かりました。その時の何かお姉さんになった様な嬉しい気持ちと気恥ずかしさは今でもよく覚えています。毎日その写真の前を通って学校に行くのが嬉しい様な少し恥ずかしい様なドキドキした気分でした。
七歳の七五三写真
七歳の時にも綺麗な晴れ着を着せてもらい、家族みんなで七五三の写真を撮りました。しかしその写真が飾られて半年程した頃、元気だった祖母が突然亡くなってしまいました。本当に突然すぎる死で、家族も祖母の友人が多かったご近所もみんなが悲しみに包まれました。亡くなってすぐの頃は家族全員が揃ったその写真の前を通るのが辛くて見て歩くのも悲しかったです。でも写真館のご夫婦はその写真をギャラリーから店の奥にしまう事はしませんでした。祖母のお葬式にも来ていたので気づいていないはずはありませんでしたが、その写真はずっと小学校を卒業するまでそのままでした。今考えてみれば祖母が亡くなってしまったからこそ、私がその前を毎日通るからこそ写真をそのままにしてくれていたのだろうと思います。毎日前を通って通学してだんだん大きくなる私を祖母が見守りたいだろうと思ったのかもしれませんし、私に祖母の事を忘れずにいて欲しかったのかもしれません。もしかしたら写真館のご夫婦なりの祖母を悼む気持ちだったのかもしれません。その事を写真館のご夫婦に尋ねる事はありませんでした。しかし写真はただの写真ではなくて大切な過去の時間を残してくれるものなのだと気づき始めたのはその頃かもしれません。
ピアノの発表会の時の写真
我が家はピアノ教室だったので発表会の時にはいつも写真館のご夫婦に来て頂いて集合写真やそれぞれの生徒のスナップ写真を撮って頂きました。そしてその集合写真はピアノの生徒全員に焼き増しして渡すのですが、私はこの写真がとても好きでした。いつも学校では体育着で会うみんなが見た事の無い様なお洒落をして、女の子は綺麗な色のお母さんの手作りのドレスを着ていたり、男の子は半ズボンでネクタイをしていたりします。みんながおすましをして写真におさまり、その中心には私の母が花束を持って微笑んでいました。みんなのピアノの先生が自分のお母さんだと言う事も何となく嬉しかったですし、その何とも言えない上品なお祭り気分がとても楽しかったのです。当日ピアノが上手に弾けた子もそうでなかった子もみんな神妙な顔をしつつも笑っていて、満足感と喜びに満ちた写真でした。
最後に飾られた写真
その写真館で最後に写真を撮って頂いたのは中学の入学の時だったと思います。私もすっかり大きくなり、難しい思春期の年齢になり始めていました。家族揃って写真を撮ると言う事もほとんど無くなっていた様に思います。それでもその日は真新しい制服を着て写真を撮りました。これから始まる中学での新生活の事、勉強や部活の事など期待と不安でいっぱいだった気持ちをよく覚えています。中学で自転車通学になったのでその後は写真館のギャラリーの前を通って通学する事は無くなりました。部活で毎日帰りも遅くなり、期末試験などの勉強も忙しくなってなかなか写真を見に行く事も出来なくなりました。それでも夏休みのある日、家族には黙ってそっと写真館のギャラリーを見に行きました。もう私も成長して中学生だし写真を飾ってはもらえないかなと思っていたのですが、そこにはいつになく緊張した自分の顔と家族を写した写真がちゃんと飾ってありました。
今になって思い返してみると子供の頃の思い出はあの写真館にすべて記録してもらっていた様に思います。我が家だけではなくご近所の沢山の家族の表情を写し続け、飾り続けたあの写真館を今はとても懐かしく思います。写真に残す事でそこに確かにいた誰かの姿を何年経っても鮮やかに思い出す事が出来る。写真は時々切なくて、そして素敵な物なのだと思います。